2010年9月21日火曜日

BIMへのハードランディング

「それは出張の時でした」とジョジョ氏は説明します。「事務所から連絡がありました。『社長!もう大変です!』でももう元には戻れません。全てのコンピューターからAutoCADをアンインストールするように指示し、念のためIT室にパッケージだけ残させたのです。」
AIDEAフィリピン社の代表アベラルド・「ジョジョ」・トレンティノ氏のプレゼンには驚かされました。ジョジョ氏のメッセージは、私が日本においてBIM普及のために宣伝してきた内容と正反対だったからです。つまり「大手では徐々に導入し、会社全体で一度に移行しないでください」というものです。私はずっと間違ってきたのでしょうか・・・?

8月に、フィリピンのセブで行われたグラフィソフト社主催の年次アジアパシフィックパートナーカンファレンスに出席しました。AIDEA社は招待講演者で、アジアのビジネスパートナーに対するBIM導入事例を紹介していました。BD World Architecture (WA)のリストによれば、現在AIDEA社は世界100位に入る大手建築事務所で、92名の設計者が在籍しています。8年前に設立された事務所にしては素晴らしい功績です。

トレンティノ氏によると、
BIMを戦略の中心にしていなければ実現しなかったとのこと。AIDEA社のこの劇的な決定を行った理由は2005年にまでさかのぼります。会社は急成長していましたが、緊急な対応が必要とされる不安の兆しがみられていました。優秀な人材の維持ができない、納品物の品質と精度に関する不満、より低い金額での地元企業からの競争が激しくなっていることなどです。

2Dは時代遅れ」で「BIMの導入は必須」とトレンティノ氏は認識したのです。
評価や試行プロジェクトを
RevitArchiCADの両方で行ない、ArchiCADの使用を決定しました。しかし、移行は想像以上に時間がかかりました。研修を受けましたが、締切間近になると設計者は2Dシステムに戻る傾向がありました。
ある時点でトレンティノ氏は「
BIMを使っている時間がありません」という言い訳にうんざりし、この習慣を一気に断ち切ることを決定しました。IT部門に60日間を与え、全てのコンピューターからAutoCADをアンインストールさせたのです。
その時点では、この決定は全員が好んだわけではありませんでしたが、AutoCADカットデー(終了日)がやっててきて、一切の妥協は許されませんでした。ただし、熱心な準備と研修にも関わらず、移行の最初の月には効率が約40%落ちました(物件に費やした作業時間による比較)。埋め合わせるために社員は長時間働きましたが、結果としてこの数字は次第に改善されました。3ヶ月目には効率性が元に戻り、6ヶ月目にはBIMがはっきりと結果を出すようになりました。「やるべきことだったと思います」と導入チームのリーダーであるアルボレーダ氏は語ります。
「とはいえ、それまで誰もArchiCADを知らなかったので、困難なことでした。もう一度やるときには、移行時期には習熟者を採用するべきと主張するでしょう。今では移行も完了し、満足しています。」どれほど満足しているのでしょうか?
「今では完全に
BIMを実践しており、以前では6人で3ヶ月かかっていた作業を2人で2ヶ月で行っています。」と社長は誇らしげに語ります。品質と生産性が明らかに向上したことに加え、BIMを使用することでプロジェクト整合性確認など新しいサービスを提供できるようになったといいます。
この場合、デベロッパーや施工会社が
AIDEA社に発注するのは、他の設計事務所が2Dで作成した設計図書の検証です。AIDEA社は図面からBIMモデルを作成し、不整合を発見して対策を提案します。
最後に、私にとって大きな疑問が残っています。
このいわば「ハードランディング」的な移行方法を皆さんにお勧めするべきでしょうか?同じような移行事例は日本にもあり(特定の日に従来の2Dシステムをアンインストールすることも含め)、このような劇的な手法は移行過程を大幅に加速し、2D作図に戻る可能性を排除することは事実です。移行後の効率は非常に高いため、短期間の移行が企業にとって重要なことは間違いありません。この視点からは、確かに良い方法と言えるでしょう。ただし、このような「高速移行」に着手する前に以下の条件を満たしている必要があります:
  • - 研修と機材更新を含む、徹底的な準備
  • - 短期間の(13ヶ月)生産性低下に耐えられる、安定した経営状態
  • - 20人につき1人の上級ユーザーを(契約)雇用できることが好ましい

最も重要な点:
  • - 経営者からの非常に強力で揺るがない支援
上記のいずれかでも、特に最後の点が欠けているなら、ソフトランディングの方がゆっくりかもしれませんが安全な方法でしょう。迅速な移行は、同時に「ハードランディング」にもなりえるのです。

2010年9月13日月曜日

Power User Conference 2.0

今、私たちは"Web2.0”世代にいて、その流れに乗るために、先日行われたパワーユーザーカンファレンスでは、Twitterのハッシュタグ「#AC14」を事前に決め、トークセッションでのパネリストへの質問や感想などにTwitterを活用することにしました。

初めての試みだったので、完璧ではありませんでしたが、(教訓:Twitterのタイムラインの文字は大きく!最後列の方からも読めるように!)イベントの後半からは、スクリーン上にTwitterのタイムラインをそのまま表示しました。おもしろい意見や、質問が飛び出し、トークセッションの中に盛り込みました。


東京会場@スパイラルホール

いくつかピックアップしてみますと・・・
・ツールが世の中を変えられるのか
shiofoot

・ツールが世界を変えられるか…ツールでコミュニケーションは変わると思いますね。 BIMでコミュニケーションは変わった
o_maijyo

・宮倉さんに質問なんですが、導入後、作業時間は変化したのでしょうか?
arai_masato

・作業時間の変化→多少軽減できているのでは。御回答ありがとうございました。
arai_masato

・BIMの目的は作業時間の軽減ではない。合意形成等のコミュニケーションツールだと考えるべき
o_maijyo
 
・宮倉さんは今後2Dと3Dどちらでも良いと会社から言われたらどっちを取りますか?

saepapa123

当日の関連ツィートをご覧になりたい方は、大阪と東京それぞれの会場ごとにまとめたページをご覧下さい。

9/1 大阪会場: http://togetter.com/li/46862
9/3 東京会場: http://togetter.com/li/48802

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  • @GraphisoftJapan : 我々のオフィシャルなアカウントです。このアカウントをフォローすればグラフィソフトの最新ニュースを逃すことはありません!
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最後に今回の私たちの「PUC2.0」を盛り上げたTwitterの実況をしてくださった@orihihs0yさん、@jakkal0623さん、@yukio19さん、@shiofootさん@arai_masatoさん他のみなさん、ありがとうございました。

2010年9月8日水曜日

原さんの思い出

原さんは行ってしまいました。

この文章が意味するのはドアを開けて、出張か休暇に行ったかのようですが、もう戻ってくることはなく空席だけが残ります。

最初に原さんにお会いした時、部屋に入ってきて大きな笑顔で若々しい自信をふりまいていました。そうです、実際若く、20歳近く年上にも関わらず、私よりも活動的で力強い方でした。この物理的そして精神的な力の組み合わせが彼のトレードマークでした。私がグラフィソフトジャパンを1999年に退社しても、安心出来る人に会社を引き継いでいただいたと感じていました。


8年間グラフィソフトジャパンの社長として勤務されていた間、東京やブタペストなど色々な場面で一緒に働く機会があり、原さんの仕事に、社員に、グラフィソフト社に対する献身と集中をいつも尊敬していました。ブタペストの社員も、原さんはこの仕事を遥か昔からしているように感じていました。ほとんどの社員の採用、現在の事務所の契約、多くの顧客とのつながりなど、現在のグラフィソフトジャパン社の大部分が原さんの偉業です。今でも原さんの努力の結果を刈り取っているだけのように感じる時もあります。とにかく原さんの思い出を残す最善の方法は、その仕事を継続することです。

最後に原さんにお会いしたのは数カ月前のことで、一緒に仕事の打ち合わせをしていました。打ち合わせ後、コーヒーを飲みながら次の予定について話していました。いつも通り楽観的で、心配事は次のテニストーナメントでは最終戦に残る可能性があるので、その準備でとても忙しい事ぐらいだ、と言っていました。残念ながらその予定が実現することはありません。原さんについて、色々ありますが1つ確かなことは、グラフィソフト社では負けたことがないテニスチャンピオンとして忘れられることはありません。

永遠に。